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最高裁判所第三小法廷 昭和61年(行ツ)72号 判決

上告人

佐多正規

被上告人

王子労働基準監督署長濱崎重信

右当事者間の東京高等裁判所昭和五九年(行コ)第五四号裁決取消、休業障害(補償)給付不支給処分取消請求事件について、同裁判所が昭和六〇年一二月二六日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告人の上告理由について

所論の点に関する原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。右違法があることを前提とする所論違憲の主張は、失当である。論旨は、ひっきょう、独自の見解に基づいて原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 坂上壽夫 裁判官 伊藤正己 裁判官 安岡滿彦 裁判官 長島敦)

上告人の上告理由

第一点

原判決には、条約正文違背という法令違背があって吟味すれば違憲である。

すなわち

1(一)(正文と訳文)

ILO第一二一号条約の正文は英文及びフランス文である(同条約第三九条)。

ところで、同条約第十九条一項中、正文によればthe total of the previous earnings(英文)au total du gain anter-ieur(フランス文)とあって直訳すると「従前の賃金の總額」とある部分について、日本語(二種の正文と共に法令全書中昭和四九年条約の部に収載されている)では「(受給者又は受給者の扶養者の)従前の賃金の額」になっていて、「總額」という表示を欠いている。

なお、「従前の賃金の總額」と対比的に述べられている「家族手当の總額(amount, montant)」の方も、「總額」又は「合計額」でなく、単に「額」と訳されており、その代りであるかの様に、原文には見当らない「(二つの額の總額としての)合計額」ということばが付け加えられていることは明らかである。

(二)(文理的には不忠実な訳の扱い方)

条約についての、文理的に見て忠実といえない訳の扱いとして、「言葉が変ったことによる弊害の実質的に生じない場合は前訳を踏襲する」という実務的な慣習ないし条理が昭和五十年六月十九日での参議院外務委員会で明らかにされている。(外務委員会会議第十五号第五頁第四段第二乃至第十四行・昭和五十年七月七日参議院事務局発行 大蔵省印刷局印刷)

(三)(問題点・実質的意味)

受給者の従前の賃金の「總額」(ILO第一二一号条約第十九条一項)とは、受給者の所得保障(インカム セキュリティ)を前提とする考え方であり、事業主保護(災害個人責任の保険)の反射とみる立場からは無意味なものである。

この点を明らかにするため、殊更正文をとって、訳文を棄てる実質的な意味がある。

(イ) 被扶養者や被保護各の家族が、同じ第十九条一項で問題となっているところからみても(使用者は彼等を雇用しているわけでないので)事業主の個人責任という考え方は、本条約と相容れないものである。

(ロ) 又、一九四四年のフィラデルフィア總会で採択されている国際労働機関憲章付属書第三節F項、G項ならびにH項に附帯している第六十七号所得保障勧告が右記ILO第一二一号条約第二十九条に於て労働災害に関する第六部ほかについては同条約発効と同時に義務を受諾したとみなされることの明らかなILO第一〇二号条約に織り込まれていることは明らかであるところ、その指導原則二ならびに三には、所得保障(インカムセキュリティ)とあり、問題点が、一般的に、社会的援助(ソーシァル アシスタント)でない流れの中で、「賃金の總額」が扱われてきたことは否み難い。

ショパン、ゴットルの如きナチドイツ経営学に端を発する「経営者保護の反射的利益としての、受給者の福利」という立場が、ILOの立場と矛盾することはいうまでもない。

以上の二点からみて、右記条約は、「受給者の従前の賃金の總額」とりもなおさず「受給者の立場から見た全所得(勤労所得)」を保障しようとするものであるが、いわゆる計算技術による実質又は意味の変更については第十九条三項の規定からみて制限的なものであるから、同条二項の国内法所定計算も必ず許される訳ではなく、訳文に「受給者の従前の賃金の額」とあって「總額」とないからといって、国内法所定計算を無制限に認めるというのであれば、正文を採って訳文を無視する正当な利益も生ずるのであって、こゝに採り上げて問題とするゆえんである。

2 原判決は、ILO第一二一号条約第十九条二項による国内法所定計算方法を採るに急であって、上告人(控訴人)がなした条約正文による主張は全く省られず事実摘示をすら欠いている。(判決理由二1(五)「条約に依拠」―第一五丁表―、事実摘示二ノ(三)にも正文による旨の摘示がない。なお昭和六〇年六月二七日付控訴人準備書面記理由(二)および同年九月五日付上申書を参考)

正文主張については、採証法則違背の法令違背が存在する。

3 右記の如くに、原判決には、ILOの第一二一号条約正文に拠るべきところを、一部内容を異にして解釈でき、且つそうしている法令全書所収の訳文に依拠しているとの法令違背がある。

こと条約に関るから、違憲(第九八条二項)となる。

第二点

原判決には、法第三九五条一項六号に係る審理不尽の違法がある。

すなわち

一、1(一) 原判決は、解雇予告手当、休業手当、年次有給休暇・減給制裁という、別の権利義務関係(勤労所得に関する限り別個の雇用関係)に全く関りの無いといえる場合を、災害傷病という経験則上他の雇用関係に影響を与えることが全く明らかな場合(厚生年金保険法第二十四条二項から見ても相当)と混同し、後者に於てしか生じ難い多重雇用関係での平均賃金計算という問題が、前者では起らないが故に決して起らないとしている。(原判決理由二、1(二)。具体的な法律関係に関らず、ただ文理的に「共通の基準」であるからとする―第一一丁表自第一至第八行)

この点は、判決に影響のあることが明らかな審理不尽である。

(二) 原判決は、一方では「労災法ないし労災保険制度は労基法に基づく事業主の個人責任を保険制度は労基法に基づく事業主の個人責任を保険するだけのものではない」(第一二丁裏第四行)と認めながら、他方、「個別使用者の災害補償責任を保険する趣旨のものであり、制度創設以来その本質に変わりはない」(第一四丁表第八行)とせられる。(原判決理由二1(三))これは、未だ徹底しない論旨であって、どういう統一的理由に拠って、夫々の事実が場合に於て正しいとされるかについての意思表示を欠いている。

この点に於て、審理不尽のそしりを免れない。

2 ところで、原判決には、右(一)(二)の他に、主文で判断されている直接前提となる事実に対して、適用されている法規範についての摘示がない。

3 従って、原判決には、審理不尽の違法がある。

二、仮に百歩を譲って、被上告人(被控訴人)に於て参考資料として提出の昭和二八年一〇月二日基収第三〇四八号という通達を吟味すれば、

1 通達はもとより法令でなく(昭和三八年一二月一四日三小、三七年(オ)一〇〇七号事件)、通達に違反しても違法ではなく(昭和四一年五月二〇日二小、三八年(オ)七七六号事件)、仮に正しい解釈であるというには(昭和三三年三月二八日二小、三〇年(オ)八六二号事件)意思表示が明らかであることが必要である。

2(一) ところが右意思表示に代るといえる裁判上の主張は、原判決によれば、一つは「労災保険は個別使用者責任を財政的に担保する制度である」という条理ないし慣習の主張、今一つは「解雇予告・休業・年次有給休暇の賃金、災害補償などの算定基準を平均賃金とする」旨の慣習の表示である(原判決二(被控訴人)1(一))から、右記審理不尽主張理由と同様の理由によって、法規範の主張について未だ徹底していないから、未だ意思表示は不明であるといわなければならない。

(二)「身分より契約(法律行為の範であると解してよい)へ」とは二世紀以前からの通念であるが、公務員の行為(処分)であるが故に正しいといえないことはいうまでもない。

3 よって、訴外にわたって、真正の、不給付処分の正当であることの理由を、知っている(悪意)ということはない。以上いづれの点からみても原判決は違法なものであり破毀されるのが当然である。

以上

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